2016年7月29日金曜日

胞状奇胎 術後1週間

術後1週間の血液検査をするためにK病院へ行ってきました。
これから1ヶ月半先までは毎週火曜日は予約が入っているらしいです。
坊が暇を持て余すだろうと、絵本も2冊持参。
でも、13:30予約で14時には帰れました。前回の初診の時はかなり待ったんで、今回は一人で坊を見なきゃいけないし、と思っておやつまで持ってきていたのですが拍子抜け。でも、早く終わってよかった!
着いてすぐ、採血コーナーで1本採血。
入院する前は5本くらい取ったので、なんとなく楽勝♪
しばらくして、診察室へ。
担当医の先生が診てくれるのかと思ったら、主治医の先生でした。
1回目の手術後から2回目の手術まであったつわりのことを聞かれました。
つわりはなくなりました。(今の所は)
退院後に頭痛と吐き気があったことを伝えたら、たぶん麻酔の副作用とのこと。
やっぱりそうなのか。
もう痛くないし、ちょっと安心。
内診はなく、出血量を口頭で聞かれたのみ。
2回目の手術後の組織検査の結果はまだでした。
HCGの値は来週から前週の値を見ていくので、今日は終わりです。とのこと。
もう終わりか。あれ?じーやのとこからの検体のプレパラートの結果は出たんですか?と聞いたら、さらりと
全胞状奇胎でしょうね。
と言われました。
超さらり。
妊娠中の数値が異常には高くなかったし、胎嚢っぽいのもあったので、部分だろうな〜と思っていたので、えっ!って感じです。
全の方が良くないんですよね?と聞いたら、そうですね。とさらり。
先生は無駄な質問は受け付けないって空気感なので、それ以上は言葉がでませんでした。悪い先生じゃないし、忙しいからテキパキしなきゃいけないから、しょうがないんでしょうけど、、、とにかく全胞状奇胎だったのが、思っていたよりショックでした。
予定より早く帰れるし、寄り道してから帰ろうと思っていたのですが、体に力が入らなくってやめました。
運転苦手やし。
色々考えてもしょうがないことは分かっています。
毎週測定するHCGを見ていくしかないです。
全のほうが絨毛癌とかになる確率が高いみたいだけど、それは部分の場合と比べた場合。
先生も今は数値を見ていくしか為す術がないから、特に言わなかったんだろうと思います。
でも、やっぱり、今日はなんだか疲れましたね。
昨日、mixiに胞状奇胎コミュニティがあるのに気づいて、書き込みを読んでいました。結局、自分は自分なので、他人の経過や結果は関係ないのかもしれませんが、読んでいると自分ひとりだけじゃないんだなと思って、頑張ろうって思えます。
妊婦さんの500人に1人くらいの割合で胞状奇胎になるらしいですが、去年は約100万8000人の赤ちゃんが生まれたということなので、ざっくり年間2000人くらいは胞状奇胎になっちゃう人がいるということですよね。
2000人…友人が少ない私には多くも感じますが、やっぱり少ないような、少ないけど、割といるような。
自分のお腹に新しい命を感じたのに、すぐにさよならしなきゃいけないし、癌になるかもとか言われちゃう、こんな悲しい病気になる人は減って欲しいので、もっと少なくなってほしいな、と思います。
次回の2回目の検診から術後の数値を見ていくので、来週から毎週数値が分かってきます。
ドキドキします。

2016年7月26日火曜日

胞状奇胎 2回目手術後

術後3時間して、フラフラですが立てるようになったので、飲食解禁!
あぁ、食べれるって幸せ。
でも、まだ股らへんがジーンとして感覚があまりない。
座ってても感覚がないので、変な感じ。
看護師さんに夜中の0時に体温と血圧を測りにくるけど、暗闇の中で勝手にやるんで、気にしないでくださいと言われました。
でも、同室の方がトイレで電気をつけて起きていたのと、暑さでちょうど0時頃に起きちゃいました。
足慣らしのために、新生児を見学に行って、看護師さんに暑さを訴えたら、そんなに動けるなら血栓予防のストッキング脱いでいいよ、と言われ、あとアイスノンを借りて寝たらすぐ眠れました。
麻酔科医の先生が頭を上げると副作用で頭痛がするので、なるべく大人しくしとくようにと言っていましたが、私はこんなに元気で、ああよかった、なんて思ってました。
翌朝、内診してから退院。
内診の前にT先生とお話。
この病院では年に5〜6人胞状奇胎の患者さんがいるらしいです。(病床数575床)
で、今は胞状奇胎の患者さんはいらっしゃらないみたいで、侵入奇胎の方が1名いるだけらしい。
うーん、やっぱり少ないんだなぁ。
で、その侵入奇胎の方は調子が悪くて検査したらCTで侵入奇胎と分かったらしく、流産した時は胞状奇胎と言われてなかったみたいで、最初体調不良の原因が分からなかったらしいです。で、のちに流産したことあるって聞いて分かったのかなぁ?担当医じゃないから詳しくは知らないみたいでした。
なんと!そんなことあるんや!怖い。
胞状奇胎って分かってるからには、ちゃんと通院しよう。
午前中に退院して、帰宅途中からやや頭痛が…
その後頭痛とそれに伴ってか吐き気が強めにありました。
不思議と横になっていれば頭痛は治まったので、坊にはまた申し訳なかったのですが、横になっていました。
翌日の金曜日は朝から頭痛。
坊の朝ごはんも私だけ横になって見守りながら。
今回の手術後は特に薬をもらわなかったので、薬局で市販の頭痛薬を購入。
普段生理痛も我慢できるくらいなので、初購入です。
お昼ご飯の後に飲んでみましたが、すぐには効かず。
ちょっと横になってたらじわじわ効いてきました。
そんな感じで土曜日までは、頭痛デイ。
麻酔科医の先生が術後は頭を上げると頭痛がするから、あまり動き回らずに早く就寝したほうがいいって言ってたけど、術後すぐじゃなくても副作用あるとかいな?
かなり頭痛は強かったですが、翌週火曜日には通院予定だったので、我慢。
ってゆーか、痛すぎて運転できません。
出血もあまりなかったですが、月曜日あたりにやや黒めの出血。
でも、それ以外はぼちぼちであまり出血しませんでした。
頭痛薬を飲み、偏頭痛持ちの人のツラさを考えた数日でした。

2016年7月24日日曜日

7月24日

ワタクシ、本日誕生日でございます。
34歳になりました。
33歳は2回も流産するし、おまけで胞状奇胎になっちゃうし、まあまあ大変な1年でしたね。ゾロ目の歳だし、覚えやすいな。
あれ?厄年って、去年で終わってたはず…
今年の初詣でひいたおみくじは確か大吉だったはず…
占いとか好きなほうですが(東京にいる時にはテレビにも出てた銀座の母にも並んで占ってもらった思い出あり。)、まあ、こんなもんかって感じですね。
あれ?女性って、30代に厄年が2回あるんだったけ?
前厄と後厄入れたら3年だから、まさかもうすぐ前厄か⁉︎
関係ないとは思いつつ、また厄払い行くんやろうなぁ。まあいいけど。
豆知識。
38歳の誕生日は東京オリンピックの開会式。
その頃関東にいたら、オリンピック見に行きたいな〜。
4年後かー
何しとるんやろ。
自分含めて皆が元気でいますように。
さらに豆知識。
2011年の誕生日は、地デジ化開始の日でした。
地デジ化の鹿懐かしい。
5年前ねぇ。
過ぎてみればあっという間。
そっか、まだ20代だったのか。うーむ。つい最近なのに、なんだか若いな、自分。
過去の自分って、自分だけど、他人のようにも感じる時があります。
今だったらそんなことしないのに、とか、逆に何でそんなことしちゃってんの、とか。
そういえば、昔、職場の先輩が
ツライことは忘れられないけど、時が過ぎた時、当時と同じように苦しむことはできないから。
って言っていたのを思い出しました。
だから、どんなにつらくても、悲しくても、大丈夫だよってことだったと思います。
何の時に言われたんだっけな〜。忘れちゃいました。
でも、そうだよなって思います。
父が末期ガンであっという間に亡くなった時、初めて身近な人の死と直面して、当時は落ち込んだしだいぶ泣きました。とっても悲しくて辛かったけど、今、その時と同じように苦しむことってできません。でも、悲しかったことはちゃんと覚えてるし、楽しく過ごせる日だってある。そういうことかなぁって思った気がします。
胞状奇胎になって、ツライですが、ちゃんと向き合ってれば、未来の私は今のことを思い出として生きていけるはず!
ちゃんと向き合うから、早く思い出にしてしまいたい〜!

2016年7月22日金曜日

胞状奇胎 手術2回目&入院③

さて、手術です。
なんと時間通りに呼ばれました。やったー、ご飯食べる時間が早くなる〜。
今までの2回は自分の服を着たまま、腕からの静脈麻酔で寝てる間に終わるやつ(じーやの時はぼんやり意識あったけど。)だったけど、今回は脊椎麻酔で、下半身麻酔。
手術着に着替えて中はすっぽんぽん、血栓予防のストッキングも履いて、車椅子で移動。
手術室のフロアは工場みたいな大きなドアで広くて殺風景でした。また受付があって変な感じ。
沢山の手術室に繋がる広い廊下。
自分で名前と生年月日を言って確認するけど、さらに入院した時に腕に巻かれたバーコードをピってされてから入室。 自分の意思はなく、肉の塊になった気分でした。
ピってされて運ばれてされるがままに色々つけられて、下半身麻酔でボーッとして手術。
自分じゃないような感じ。人間じゃないような感じ。
痛みと冷たさの神経は同じらしく、濡れた布を肩に当てられると冷たく感じたけど、下半身だと触られてるけど、冷たくなかったです。変な感じでした。
手術中は真上に8つのライトがあってそれだけ見てたけど、カエルの気持ちにもなりました。カエルの解剖したことないけど。
広い手術室には先生含めて6人くらい人がいました。
超手術されてるって感じ!
意識はあるので、グリグリ子宮からなんか出されよる感じがするな〜とか、生理痛みたいにズシーンと重たい痛みがあるような気がして、もし、麻酔が今切れたら超痛いんじゃなかろうかと、ドキドキしました。
結局手術室を出たのは1時間後。
取り出したものは目に見える範囲では普通の組織っぽいらしいけど、分からんけん組織検査に出すらしい。
見ますか?って言われたので見ましたが、瓶にプカプカ血の塊みたいなのが浮いていてそれが何なのか私には分かりませんでしたが、じーやが手術してくれた時はこれがブドウ状だったのかなぁと思うとちょっと見てみたかったな、と好奇心があります。
旦那さんが主治医の先生から数値の話と通院頻度の話を聞いたみたい。ショック受けてるのかな?ただ疲れてるだけなのかな?元気はあまりなかったです。
さすがのポジティブ推進委員の旦那さんも元気ないね。
病気の時って本人もだけど、家族もつらいもんね。
坊は何も分かってないので超元気なのが救いだ。
お父さんの為にも今夜は早く寝てくれ!(昨日は寝かし付けに手こずって疲れたらしいので)
麻酔が切れるまで飲食禁止。
あと、動けない。
お腹すいた、ひまー。

2016年7月20日水曜日

胞状奇胎 手術2回目&入院②

おはようございます。
入院2日目。手術日です。
手術は15:40〜の予定。しかし、予定は未定。
色んな患者さんが同じ手術室を使うので、前の手術の時間が押せば、その分遅くなりますし、早ければ、早くなりますよね。
看護師さん曰く、ま、だいたい遅くなりますけど、って微笑んでました。
手術中は家族が待合室にいなきゃいけないんですが、手術予定時間1時間前には来てほしいらしいんですが、看護師さんが融通のきく方で、どうせ遅いでしょうし、小さい子がいて退屈だろうから、と、15時でいいと言われました。
融通がきく人ってイイ!
さて、今まで2度やった掻爬手術の時は、朝9時から手術で前日の9時以降は飲み食い禁止でした。6月は暑かったから、寝起きに水を飲めないのは気持ち悪かったです。
今回はなんと、朝ごはんは食べていいし、水分も水お茶類なら12時まで飲んでいいとのこと!やった!でも、術後は3時間飲食禁止。麻酔すると、内臓の動きも止まるから、吐いちゃうらしいです。なるほど。
朝ごはんのウオクニ飯を堪能した後は、読書。漫画ですが。
絶対入院中暇だと確信し、漫画をレンタルしてきました。
おやすみプンプン全13巻。表紙がキャッチーで、以前から気になっていたし、完結してるし、10巻くらいでちょうどいいな、と。
面白かったです。が、入院中に読むならもっとカラッと明るいほうがよかったかも。
漫画も12時には読み終わり、お昼も食べれないし、暇に。
産婦人科病棟なので、ナース室の近くに新生児室があります。
入院した時は3人でしたが、退院する時は6人くらいになってました。
満月か新月だったのかな?
暇な時はちょこちょこ新生児を見学してました。
去年流産した子は生まれてたらちょうどこのくらいだったんだろうなぁとか、私はなんで2回も妊娠継続できんやったんやろう、としんみりもしましたが、やっぱり新生児はちっちゃくって可愛いのです!
あぁ、坊もこんなだったけ?それにしても、ちっちゃい、可愛い♥
また産めたら、さぞや可愛いんやろうなぁ、そんな未来の自分に会いたいなぁと思いました。
新生児を見て、こんなに癒される自分がいるとは思わなかったので(むしろ辛くなるかと思ってた)、妹の2人目の予定日がもうすぐなので、楽しみです。
妹の1人目が坊と12日違いで一緒に里帰り出産して、一緒に夜の授乳をして楽しかったので、去年、妊娠がわかった時に調子に乗った私が、「あんたもつくり〜よ〜。また一緒に授乳しよ!」と能天気なことをいったら、すぐに授かったらしいです(笑)あの時は妊娠したら出産できるって、なんの疑いもなくそう思ってたなぁ。
まさか、その後流産してさらにもう1回流産&おまけで病気になるなんてねぇ。
つい最近のことなのに、分からないもんです。
妹のことも羨ましいけど、何より能天気な過去の自分が羨ましいですね。

2016年7月19日火曜日

胞状奇胎 手術2回目&入院①

火曜日の朝10時に入院。
入院手続き窓口で手続き。
大きい病院に入院する時って、世帯が別の保証人がいるから面倒ですよね。
仕事してれば、仕事場の人に頼めるかもしれんけど、してないし〜。
で、母を記入。よかった、旧姓のハンコまだ持ってて!
今後もまだ突然とても役に立ちそうだから、旧姓ハンコは持っておこう。
手続きが終わって、産婦人科フロアの病棟へ。
またここでも手続き。
腕にバーコードがあるバンドを装着。
水に濡れても平気な紙だから、シャワーもこのまま浴びれるらしい。プラスチックな感じはしない、紙って感じ。すげー。
病室にて家族の同伴の説明を聞くために、旦那さんと坊と待機。 が、午前中は採血されただけ。
担当医の方が緊急手術に入ってしまい、家族同伴の説明が15時くらいになったので、旦那さん達は一旦帰宅。悪いなぁ。またねー。
お昼ご飯。
学食のウオクニな感じのご飯でした。
(ウオクニとは、学食を作っていた会社ですが、美味しくはない、でも暖かくて食べれる、そんな食事です。1年生は学食を使うけど、それ以上は近くのコンビニか定食屋さんでみんな食べてました。ちぢわってゆーボリューミーな定食屋さんがあったなぁ。懐かしい。ちなみに、今はウオクニは撤退したらしいです。)
やっぱり産婦人科の方が美味しいなぁ。総合病院はこんなもんかー。でも、ウオクニ効果でちょっと楽しい。
で、午後。
旦那さん達がもう一回来てくれて、担当のT先生が説明してくれました。
女医さん。若い。アラサーくらいかな?
胞状奇胎は子宮内のものをちゃんととっても、その後侵入奇胎や絨毛がんになる可能性があるらしく、手術後もhcgの値を測って行く必要があること。もし、横ばいで下がらなかったり、下がってたものが上がったりしたら、その2つの可能性が高いので抗がん剤治療になること。一度適正値まで下がって妊娠okになってその後正常妊娠したとしても3〜4年はその2つになる可能性がまだあるので経過観察が必要だということの説明がありました。
ってゆーか、侵入奇胎や絨毛癌になったとしてもは自覚症状はなく、hcgの値でしか分からない厄介なやつららしいし、絨毛癌は転移して発見されることが多いらしいし、実際4年以上後に発症することもあるらしい。
おいおい!なんじゃそりゃ。
ホントに厄介。
その後、主治医の先生が夕方来てくれた時に先週のhcgの値が5000くらいで思ったより高いから、毎週通院してもらいますといわれました。
何かあった時に見逃さないためらしい。
ああ、妊娠の500人に1人の胞状奇胎になり、そのなかでさらに1%の侵入奇胎か絨毛癌にもなっちゃうのかしら。
とりあえず、今回の手術の後は数値を見るしかないのですが、それしかないってゆうのがストレスだー。

2016年7月18日月曜日

検体の一件②

検体を持っていくことには了承したんですけど、近々入院するし、その時でもいいんじゃないかと、土曜日に営業してるのか怪しいと思ったので、K病院に電話してみました。
産婦人科の看護師さんらしき人が電話口に。
先生が早く見たいと言っているので、入院前に持ってきてほしい。
郵送でも持ち込みでもどっちでもこっちは構わないので、とにかく検体が見たい。
ちなみに、土曜日は営業してないから、平日に産婦人科の受付まで持ってきてほしい。
という内容をツンツンした感じで言われました。
もう少し言い方ってもんがあるんやないの?
そりゃー、治療してもらう立場ですけど、牛乳買いに行くわけじゃないんですから!なんで2度手間なことを、そんな口調で言われないかんと!?
悔しいやら悲しいやらで、もうじーやの産院にも行きたくないし、K病院にも行きたくない!と会社から帰宅した旦那さんに抗議。
旦那さん困る。
他に胞状奇胎でも見てもらえる病院ないか検索してみましたが、あまりなく、その中でもK病院が一番近いということで、私の怒りは沈静化…
だって、術後しばらく通院するんやろ?坊もおるし、しょうがない、K病院に行くしかない。
旦那さんに甘えて土曜日にじーやのところから検体をピックアップしてきてもらいました。
もう行きたくなかったので。
細い茶封筒の中に薄い四角の固いものが入ってる感じでした。
封がしてあったので、中は見えないけど、あんなに割れることに怯えていたのに、プチプチとかで覆っている雰囲気なし。うーん、意味不明。
月曜日の朝、早めにK病院へ。
産婦人科の受付に持って行ったら、電話で話したと思われる看護師さんがでてきました。
で、封筒の中身を一緒に確認。
中には2枚のプレパラートが入ってました。
ガラスって、これか。まあ、割れやすそうやけど、いや、郵送できるやろ。
検体っていうから、てっきりガラス瓶にプカプカ私の子宮の中から出てきたブドウ状のものが漂ってるのかな〜と思っていたので、茶封筒の時点で違うとは思っていましたが、こんなペラッペラになったやつだったとは。
で、看護師さんに入院についていつくらいになりそうか再度質問。
もちろん分からなかったんですが、分かったことがありました。
手術は月水金しかやってないということ。
前日入院しなきゃいけないので、月曜手術になったら、土日は休みだから、金曜日に入院せないかんということ。
ええええええーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!
金曜日に入院したら、4泊5日ですよ。
去年の流産の時の掻爬手術、日帰りってゆーか、1時間で帰ったんですけど。
もう、大きな力(病院)の渦の中にいる私には願うしかありません。
旦那さんに伝えると、「ほー、ビックらぽん」「大きな病院だるい」ってラインがきた。ほんと、それ。
帰ってきてやっぱり疲れたので、坊と一緒に昼寝。そしたら入院案内の電話がかかってきました。
ああ、よかった。なぜかとても嬉しかったです。
さあ、明日から2泊3日入院です。

2016年7月17日日曜日

検体の一件①

K病院に行って次の日の金曜日、連絡が来るまでいつ2回目の手術するか分からないし、はぁ、なんかまた疲れた〜。と思っていたところ、じーやの産院から電話が。
K病院の先生から、よっしーさんの検体を送って欲しいって連絡がきたんだけど、じーやが検体が入ってるガラスが割れるといけないから、よっしーさんに持って行ってもらいたいって言ってるんだけど、来れる?と受付のおばちゃんから言われました。
はぁ?
疲れてるところに、謎の依頼の電話です。
なぜ、私が取りに行ってまたK病院まで持って行かなきゃいけないのか。
ネコに頼めばいいやん!プロだよ。割れんやろ!!
それに、K病院に予約した時から胞状奇胎って言ってあるし、予約して受診まで1週間もあったし、てか、昨日行ったばっかりやし!必要なもので、郵送できないものなら、紹介する時に渡すもんじゃないと?ちょっとそこのスーパーで牛乳買ってきてみたいな軽いノリで言わんでくれ!
という私の心の声をマイルドにして受付の方にお伝えしました。
先生にもう一回聞いてみるね、と言って電話が切れました。
も〜!80歳には付き合いきれーん!!一人でプンスカしてました。
で、もう一回電話がかかってきて、やっぱりどうしても先生が割れるから取りに来てって言ってるんだけど、来れない?と。
よく分からないですが、そこですごく泣いてしまいました。
胞状奇胎って言われてから、泣いてなかったんですが、なぜかそこで頑張って気丈にしてたのがプツッと切れたみたいでした。
坊がお昼寝してたからかもしれません。旦那さんもいなかったからかもしれません。
電話口で泣きながら、もう分かりました、でも、今日は用事があるので、いけません…グスグス。と言ったら、今日の今日じゃなくていいのよ!と言われたので、翌日の土曜日に行くことに。で、K病院にも土曜日に持って行ってくれと言われたので、なんか怪しいと思い、詳しくどこの誰に渡せばいいのかを分かるようにしてもらうことにしました。私がグスグスしていたら、受付の方が、ちゃんともう1回手術して経過観察すれば大丈夫だから。私も同じ病気の患者さんを見てきたけど、ちゃんとよくなっていったから、ね、大丈夫よ、と慰めてくれました。
そう、じーやの産院はじーやはデリカシーとか配慮とかないけど、看護師さんや助産師さんは優しいのです。ちなみに、受付のおばちゃんも看護師さん。
つづきます。

2016年7月16日土曜日

2014年10月生まれの男の子です。
母乳でぷくぷく太って体が重かったのと、慎重派な性格で、色々と成長はゆっくりめです。歯もまだ奥歯がないんですよ〜。食べづらそうだ。
1歳7ヶ月くらいから急にアンパンマン狂になりました。
発語がなくて1歳半健診でひっかかたのですが、アンパンマンのみしゃべります。
でも、マン!とかアンマン!とか言うほうがまだ多く、アンパンマンも正確には言えてないんですけどね。
友人の子供たちがやたらにアンパンマンが好きだなぁとは思っていましたが、坊もそうなるとは。
アンパンマンのアニメは当然何度も見たがるし、見てる時はとっても静か。
アンパンマンのCDをレンタルしてみたら、歌も聞きたがる。
アンパンマンとバイキンマンを1日何度も描かされたり、アンパンマンの小さい人形を外出の時に持って行きたがります。
そして、かなり人見知りですが、アンパンマンのおもちゃで一緒に遊ぶと懐くことも判明しました。じーやの産院にいる看護師さんは見事にアンパンマンを介して手なづけていました。手術して個室で休んでいた日、様子を見にきてくれた看護師さんが、坊においで。と手招きしたらなんとスタスタ着いて行ってしまったのです。私も旦那さんも予想外のことで衝撃でした。あんなに人見知りなのに、他人にほいほいついて行くなんて…!看護師さんの実力もあるでしょうが、やはり、私はアンパンマンパワーを感じるのです。
なにはともあれ、坊はすくすく育って笑顔がとってもかわいいです。喋りませんが、1歳過ぎくらいからコミュニケーションはとれるので、そこからさらにかわいくなりました!
旦那さんがなかなかお兄ちゃんになれないねーと言ってました。
お兄ちゃんにしてあげたいね。うーむ。どうなることやら。。。

2016年7月15日金曜日

旦那さん

私の旦那さん。同じ戌年生まれ。
佐賀県出身。
私とはぜ〜んぜん性格は違います。
とても優しく、そして冷静です。あと、ポジティブ。
意外と子煩悩で、よく坊と遊んでくれて坊も旦那さんが大好きです。
私も同じ部屋にいるのに、一緒に遊んでいた旦那さんがトイレとかで違う部屋に行くと泣きます!
ねえ!お母さんおるっちゃけど〜!って言っても泣く(笑)
少し寂しいですが、旦那さんも嬉しいみたいで、余計に坊と遊んでくれるし、私にべったりで私がどこにも行けなくて困る!ということがないので、いいな、と思っています。
そのおかげで私が手術したり入院したりしても大丈夫だからよかったです。
ちなみに、旦那さんの趣味はお金。
特に株。
数年前から株ブログをしていて、楽しそうです。
私は投資関係はまったく分からないし、ノータッチです。
旦那さんの夢は早くお金を増やして、リーマンを早期リタイアすることのようですが、、、
夢は遠いようですが、どうなることやら(笑)
でも、株の話をしていると楽しそうなので、やっぱりこの人はこれが趣味なんだなあと思って見ています。詳しくなくて、いい話し相手になれんくてごめんね。
私も会社に勤めていたので、サラリーマンの大変さは身にしみて分かっているつもりです。自分の判断だけでは仕事ができないのがリーマンの苦しいところですよね。疲れて帰ってきた時はなるべくいつもありがとうって言おうと思っていますが、伝わっているかはナゾです。サラリーマンは大変よね、ほんと。
自営業と違って、リーマンは会社に行けば、お金が貰えるから楽チンだよ。福利厚生もあって、守られてて安心だし。が旦那さんの仕事で疲れた時に自分を慰める言葉ですが、それを自分で意識できるのがすごいなぁと思っています。私は無理だったので。
旦那さんは自分のお小遣いの中で楽しんで投資をしているだけなので、今、資産がいくらなのかは知りませんが、大幅に下がったりして、気落ちするのだけが心配な私です。

2016年7月14日木曜日

つわり

胞状奇胎はつわりがひどいことが多いようですね。
私は吐くことはありませんでしたが、つわりはありました。
起きている間は常に吐き気があり、ご飯は少ししか食べられませんでした。
何も食べていないとそれはそれで気持ち悪くなってくるので、何かを食べていました。
坊を妊娠していた時によく食べていたのは、梅干しとマックのポテトでした。
何を食べても気持ち悪かったのですが、油コテコテのはずのマックのポテトがなぜか食べられたので、何回か旦那さんに買ってきてもらったり、食べに行きました。ちょうどLサイズ150円の時期と被っていて、その時はLサイズを2つ食べて、隣で旦那さんが引いていたのを覚えています(笑)確かに、食事は少量しか食べれないのに、Lサイズ2個っておかしいですよね。でも、美味しく食べられたので嬉しかったです。
2回目の妊娠時はつわりはほぼなかったので、通常通り食事をとっていました。
で、今回は梅干しのおにぎりを食べたり、男梅キャンディーをなめたりしていたのですが、ややイマイチ。やっぱりマックのポテトか!と思い食べてみましたがイマイチ。ああ、でも気持ち悪い〜!とネットで検索したらレモンを発見。昔からある懐かしのスーパーレモンキャンディーを試しに購入。いい感じ♪一口目が結構すっぱく、レモン味も体に合ってました。そして、サクレレモンのシャーベットがなかなかヒット。その中に入ってるレモンスライスが超ヒット!レモンの飴はよかったのですが、なめ終わるとまた気持ち悪くなるので、連続で舐めることに。そうすると口の中が甘〜くなって、ベトベトしてそれがちょっといやでした。でもレモンスライスは噛まずに口の中に頬張ったまま、1時間くらい活動できましたよ。ベトベトしないし、私にはよかったです。はちみつレモンスライスを作ろうと思ったのですが、皮ごと食べるので国産のレモンがいいらしく、探したのですが、近所には売ってませんでした。レモンって夏のイメージがあったんですが、どうやら旬は冬なんですね。なんか意外でした。
しょうがないので、レモン飴をなめていたら、旦那さんがセブンでレモンスライスのドライフルーツ(?)を見つけて買ってきてくれました。でも、なんと3スライスで200円くらいするみたいなので、私は少しずつ食べて1日1スライスでつわり対策をしました。
あと、下着とズボンの締め付けでも気持ち悪くなっていたので、ユニクロのブラトップと、ゆるいズボンを着ていましたよ。
ユニクロのブラトップは授乳時でも使えるのでオススメです。サイズは2サイズくらいアップしますが。楽チンですよ〜。
ほんと、つわりってなんであるんでしょうね。本当に不快でつらいですよね。でも、時が過ぎればなくなるし、病気じゃないから特に対策がないんでしょうね〜。

2016年7月13日水曜日

転院

やっと1週間後の木曜日になったのでK病院へ。術後10日も経ってしまったけど、大丈夫なんかなぁ。ああ、不安。
坊がいるので、旦那さんが午前半休してくれて一緒に行きました。大きい病院です。9時からの予約なのに、30分前までに受付してくださいと言われました。内診して採血、心電図、レントゲンとってまた診察。いちいちそれぞれの待ち時間がなっがい!坊は超暇そうでした。ごめんね〜。
で、内診の結果、今の所は異常はないけど、この病院で手術したわけじゃないから、2回目の手術をすることに。でも、最初からこの病院で手術してたら1回だったらしい。はぁ、なんと!がっくし。
で、なるべく早く手術したほうがいいけど、今週は病室が空いてないから、空き次第連絡が来ることに。
し・か・も!今まで2回同じ手術して日帰りだったのに、なんと、2泊3日もせないかんらしい!
ひょー、困る!坊がおるけん、旦那さんに会社休んでもらわないかんのに~。お金もその分かかるしー!
麻酔科が麻酔するから、ちゃんと検査と経過観察しないとけない。麻酔のことは麻酔科が管理するから、そのスケジュールになる。麻酔科が麻酔が…!って感じの説明。
私が憤慨してると、個人病院は院長が社長で責任とれるけど、総合病院の先生は従業員だからしょうがないんだよ、と旦那さんが隣で解説。
そーやね、ああ、でも面倒くさい。
ああ、こんな病気になってごめんなさい。
もう病気になって迷惑かけるのは嫌だ~。
ちなみに、今日見てもらった先生は女医さんでした。さばっとしてていい感じの部長さん。
次回から下に担当の先生がついてくれるらしい。
質問いっぱいしようっと。
入院の説明を聞いて帰宅したけど、こんなに詳しく麻酔のこととか説明されたり、検査たくさんして2泊もする手術を1番最初に受けてたら、さぞ怖かっただろうなと思います。病院でそれぞれやり方が違うのはわかりますけど、2泊もしなきゃいけない病人なのよ、アナタは!と責められているようでした。私にとっては、掻爬手術は日帰りだし、1時間で帰れる手術が当たり前なんだけど、この病院の人たちはデフォルトで2泊3日の手術なので、私が驚いていても、何言ってんの、当たり前だから。って感じでした。ああ、この感じ。会社勤めをしてた頃の感じだなって思いました。融通の利かない頭でっかちな感じ。まあ、しょうがないんでしょうけどね。

2016年7月12日火曜日

検査結果〜胞状奇胎確定〜

月曜日に手術をして、金曜日に結果が来たので、じーやのところに行ってきました。
坊は看護師さんになついてしまって謎の畳の小部屋に吸い込まれていきました。超人見知りっこなのに、ここ最近よく来てるし、看護師さんの謎のあやしパワーかもしれません。
のち、軍艦島石炭サブレをもらって登場。
組織検査の結果、やっぱり胞状奇胎だったので紹介状を書いてくれることに。
が、紹介してくれる先生の名前が分からず。。。
じーやとばーやが色々資料を探すけど、平成22年とかで古い…
私ももはや期待してないので、自分で病院に電話して予約するついでに聞くことに。
予約の電話を呼び出してる間にFAXか何かの宛名を発見し、準備してた紹介状に先生の名前を書いてた。
で、電話が繋がったので、その先生の名前で予約しようと思ったら、今年の春で引退されたそうな…
はー…
で、今の先生の名前を聞いて先生の見てくれる曜日が木曜日だけらしいので、来週の木曜日に予約。
宛名を間違えたので、紹介状を一から書き直すじいや。
待合室で待つことにしたら、普段は混んでないのに3人も人が待ってた。何となく申し訳なくなりました。
看護師さんと助産師さんは心配もしてくれるし坊も私も好きだけど、もうやめよう、と思いました。
ちなみに、紹介先の産科にはじーやの息子がおるらしー。
会えるかな。
で、手術後は出血もあまりなかったのに3日後くらいから増えたし、日曜日の夜からつわりがやや復活したので不安になる私。
病理検査でやっぱり違ったよって言われるかなぁとか期待してたみたいで、確定してまた落ち込んでしまいました。
で、久しぶりに友人から電話。
元気~?って聞かれたから元気じゃないよーとかくかくしかじか説明。友人は前回私が流産してるのを知ってます。
そしたら、その友人も最近流産したらしく落ち込んでいたらしい。私とは違うけど、その時に病気?も見つかったらしい。友人は病気のせいでまた流産するかもしれないと言われているらしいです。そんなの嫌だ!内容は違うんだけど、二人で、もう流産はしたくないよ~、辛いよ~と言い合いました。
何事もなく生む人はたくさんいるのに何でやろうねって。
おしゃべりしてややスッキリ。
まあ、でも誰か私の代わりに私の人生やってくれる訳じゃないし、仕方ないよね。
アンパンマンのしょうがないさんの歌が何度も頭の中で流れる。いい歌ですよ。
やっぱり20代のうちに産んだ友人知人の方が何事もない割合が多いなぁと、人間の体の働きについて考える。
何もない人は何もないんやけどね。

2016年7月11日月曜日

胞状奇胎 1回目の手術

月曜日、旦那さんが会社を休んでくれて一緒に産院へ。
昨日持ってきてもらったものは血の塊だったから、とは言われましたが、エコーはやっぱりブツブツしたものが映ってるし、子宮の大きさも大きめらしい。ああ、やっぱり胞状奇胎なのかも。。。で、手術することに。
1回手術経験がある私は余裕です。前回は麻酔がスッと効いて、気が付いたら処置は終わっていたし、1時間で帰宅できた手術なので、あと1時間後には解放される♪って感じでした。
で、手術開始。いつもの診察台でやるらしい。へー、まあいいけど。
で、手足を紐で縛られた。ふーん、前も麻酔の後にしとったのかもね。
で、右手に麻酔の針を、え!?助産師のばーやがすると!?え、大丈夫と?と思っていたら、ふわ〜っとしてきた。ああ、大丈夫大丈夫、このまますっと記憶なくなるもんね、ふわ〜っとするふわ〜っとする。あれ、まだふわ〜っとするっちゃけど、???はっきりと聞こえませんでしたが、術中、意識は完全になくなることはありませんでした。何か掻き出されてる感じはあったし、ボソボソ声も聞こえます。うーん、おかしいなあと思っていたら、先生がもう1回だ。みたいなことを言って、手術が終わったみたいでした。で、いきなり吐き気!吐いたかどうかはぼーっとしていたので、分かりませんでしたが、看護師さん達に今、先生がもう1回って言ってたのは何ですか?と聞いてる間に個室へ移動され、点滴をされました。
だいぶ意識がはっきりしてきたところに、旦那さんと坊が部屋に入ってきました。先生から説明を受けて、内容物がやっぱり胞状奇胎っぽいから組織検査に出しますと言われたらしいです。あと、もう1回同じ手術をして子宮に残らないようにしないといけないです。と。
私は術後ハイになっていて、ほーら、やっぱり私があやしんどった通りだったやろー!と得意げでした。手術前まで気持ち悪かったつわりも落ち着いていて気分もよくなって、自分に戻った感じが嬉しかったのかもしれません。やっぱり胞状奇胎かもよって言われて、悲しいはずなのに、2週間の間に心の準備ができていたからか、こんな経験ができるのも楽しいよね!と本当に意味不明なことを口走っていました。落ち込みすぎて暗くうじうじ考えすぎるのはさらに体に悪いと思うので、よくないとは思いますが、けっして、楽しくはないですよね。変ですね。でも、説明の足りないじーやから聞いた胞状奇胎という病気について、ネットで色々な経験者の皆さんの体験を読ませてもらえたことで、私も暗くなりすぎず、少しでも前向きでいれたんだと思います。やっぱり、知ることって大事です。
さーて、帰るぞ!と思ったのですが、手術前は午前中で帰っていいって言われたのに、夕方まで、と言われ、その後1泊してくれと言われてしまい、急に1泊は困りますと言ったらじゃあ夕方でもいいよ、と看護士さんが言ってくれたので、お昼ご飯をいただき、夕方に帰りました。もう、適当だなぁ。じーやは私が1泊せずに帰ることになぜか怒ってるし、年輩の方は言うこと変わるから疲れるな、と祖母のことを思い出したりして、じーや達の一貫性のなさとかは気にしないようにして帰宅。
その日の夕飯は帰りにイオンで惣菜を買って食べました。レバーがおいしかったな。産院で頂いたお昼ご飯もおいしくて嬉しかったです。

やっぱり、食べ物をおいしく食べれるってしあわせだなぁと久々のちゃんとした食事を楽しんだ日でした。

2016年7月10日日曜日

3回目の妊娠⑤〜胞状奇胎発覚〜

つわりがどんどんひどくなってきました。
1歳8ヶ月の坊は昼は外で遊んだりしないと体力が有り余ってるし、連れて行きたいんだけど、無理でした。ずっと飴やら梅干しやらレモンスライスを口の中に含み、横たわる私。坊も一人でおもちゃで遊んでくれていましたが、ある時、寝ていた私の足の間に座り込み泣いていることがありました。本当に辛かったです。
もうたぶん流産だと思うのに、つわりで坊を構ってあげられないなんて。本当にごめんね。つわりで動けない私を気つかって旦那さんもほぼ定時で帰ってきてくれて、坊とたくさん遊んでくれたり、つわり対策用の食べ物を探してくれたり、家事をしてくれていました。もう、本当に自分が嫌でした。

前回の受診から5日後、見たことない黒い出血が。ネットで胞状奇胎の症状の一部にあったような気がして数値は異常なしだったけど、やっぱり胞状奇胎なんじゃと私は思いました。次の日には量も減ってまた茶オリになっていったので、受診せず。
8日後の夜、大量に出血&ものすごい吐き気。ああ、もういやだってゆーか、だめだ。この日はトイレの近くの部屋で一人で早めに就寝しました。つわりもきついし、坊がかわいそうだし、旦那さんにも迷惑かけてるし、また妊娠できたとしても同じ目にあうかもしれない、つらい。もう妊娠したくない!って思いながら寝ました。
その夜、私のきょうだい達と母の趣味の変な服について喋る、というどうでもいいというか、くだらない夢を見ました。でも、すごく楽しく喋る夢です。目が覚めて、坊にまたごめんねって思いました。お母さんにはくだらない話ができるきょうだいが3人もいるのに、私が嫌だからって、坊を一人っ子確定しようとしてしまって、ごめんね。って。つらいからいやだけど、いつになるか分からないけど、チャレンジはするよって。
で、9日後の日曜日の朝。出血はまた落ち着いていました。でも昼過ぎに出血と同時に何か塊が出たのが分かりました。産院に電話しましたが、腹痛はないことを伝えると、とりあえず今日、旦那さんに内容物を持ってきてもらって、明日の月曜日に受診してくださいと言われました。そのまま処置ができるように今夜10時以降は飲み食いしないでおいてください、と。
ああ、前回と同じ手術だろうなー…。言われてないけど、替えの下着とナプキン持って、スカートで行こう。と前回の経験を生かす私。
ついに2週間ほどのきつい日々をひと段落させることができるかも、となぜか安心してしまいました。

2016年7月9日土曜日

3回目の妊娠④〜胞状奇胎発覚〜

翌日のお昼、検査結果が届いた連絡が来ました。早い!でも、午後は休診なので、翌日の金曜日に行くことに。
水曜日に胞状奇胎かもって言われてから、だから流産っぽいのにつわりがあるのか、とか、だから不正出血ずっとしてるのか、とか納得するのと同時に、今、私のお腹の中でどんどんブドウ状の細胞が増えてるのではと思ってつわりがさらに気持ち悪く感じたりしてました。
私としては、早く手術してすっきりしたいので、紹介状をもらってすぐに転院するK病院に予約する気満々で朝イチで受診。診察室に入ると、紹介状の書きかけが机の上にありました。でも、検査結果が正常妊娠の範囲内だから、もう少し様子見しましょうと言われました。hcg9900。7wだと正常の範囲らしい。
えっ。。。どういうこと?
内診したら胎嚢がまだありました。でも小さい。それに胎嚢以外のものも何か映ってました。数値も高くないし、胞状奇胎と断定できないので、2週間後にまた来てくだい、と。
は?2週間も待てと!?
前回の流産の時、9wになっても心拍は確認できませんでした。でも出血も腹痛もなかったので、11wに受診するように言われて、何かおかしいなと思っていたら、翌週、実家に帰っていた時に出血。お産した産院へ受診すると、1ヶ月位前から流産してると思いますよ、何でまだ手術もしてないのか、と呆れられたのです。結局次の日に掻爬手術を受けました。朝9時に行って、10時には帰宅。とってもサラリと終わりました。ああ、こんな簡単な手術なんだ、と寂しくもありましたが、お腹の赤ちゃんがじーやに手術してもらうのは心配だから、と、実家にいる時を選んで出血してくれたのかもしれないな、と思いました。おかげで体の負担はとても軽くすみました。
じーやはアラ80なので、判断方法も機材もたぶん古いです。でも経験はたくさんあるし、何より近所はそこだけなので、前回の引き伸ばし流産判定で迷ってはいましたが、今回も受診することに決めました。前回のこともあるし、今の状況で妊娠を継続させることって何の意味があるんだろう。しかも2週間も待ってしか判断できないのか、、、ああ、でもここを選んだのは私だし、しょうがないです。
切迫流産の時に処置されることも今回は特にされず、2週間後に受診することに。
胞状奇胎じゃないかもしれないのは嬉しいけど、モヤモヤする私でした。

2016年7月8日金曜日

3回目の妊娠③〜胞状奇胎発覚〜

1回目の健診から大量に出血することなく、つわりも始まり、1週間が経ったのでいざ健診へ。
旦那さんがまた流産かもしれないと思って心配して半休取って付いてきてくれました。
さて、内診です。
あれ?なんか先週より変じゃない?胎嚢ぐにゃぐにゃやん…と思ってエコー画像を見ていたら、カーテンの向こうからじーやがばーやにブツブツ何か話してた。この辺がぶつぶつしてるから、どーのこーの。
診察が終わったら、じーやが胞状奇胎の疑いがあります。と。
胞状奇胎…?ん?流産じゃなくて?
初期、出血
でググってた時、流産、子宮外妊娠、胞状奇胎の可能性ってあったような…それのこと?でも、めったにいないから大体違うって書いてたからあまり気にしてなかった。
じーやが、胞状奇胎は癌化して肺に転移しやすいからレントゲンもとらないかん、とか、開業して初めて(30年)だ、珍しい、とか、病気だと分からない時代はぶどう状のものが出てきて気持ち悪がられて差別されたとか、何かベラベラしゃべってた。
今日は検尿と血液検査をして結果が出たら、大きい病院に紹介しますからと言って採血された。
はっ?癌って言った?何で??赤ちゃんが欲しかっただけなのに。
一昨年子宮癌で亡くなった旦那さんのおねえさんのことが真っ先に浮かんだ。36歳でした。坊を妊娠中にお見舞いによく行ってました。坊が生まれるのをすごく楽しみにしてくれていたおねえさん。旦那さんの唯一のきょうだい。病気でもすごく前向きに治療に取り組んでいてとても尊敬できるおねえさんでした。
おねえさん、私も癌かもしれないって!どうしよう。

とにかく、病院を後にしたところでググりまくりです。
じーやが癌っていうからとてもショックだったけど、どうやらそうじゃない可能性の方が高い。掻爬手術を平均2回してその後hcgの値を経過観測するから半年〜2年は避妊しなきゃいけないらしい。はぁ…2年か…。36歳だし、坊と年齢差が空いてしまうやん。てか、流産の心の準備しかしてなかったよ、なに胞状奇胎って。いやだよー。
一通りググった後、実家の母から電話。
検査結果が分かったら連絡しようと思ってたけど、ついでだから言っとこうと思って、「お母さん、私、妊娠したんだけど、病気だったみたいで手術せんといかんって」と言ったら、「それ、ブドウ子ってやつでしょ。」と病気のことを知っていてすぐに答えられてびっくり。昔、母の母、私の祖母もなったらしい。あと、美智子様もなって当時のニュースで有名だったらしい。
なんと、身近にいた!
母はあまりクヨクヨするタイプじゃなく、あまりにサバサバした反応だったので、「癌になるかもしれんとよ?」と私が不安を煽ると、「91歳になるばあちゃんもまだ癌にはなってないんやけん、いい例が身近におるけん、よかったやないの」と励まされました。うん、確かにね、ちょっと心強い。
さて、どうなる私の体!?検査結果が来るのを待ちます。

2016年7月7日木曜日

3回目の妊娠②〜胞状奇胎発覚〜

産院へ着くと顔見知りの看護師さんが「出血しちゃったの…」と残念そうに話しかけてくれました。
この産院はこじんまりとしているんですが、先生がアラ80で助産師さんもアラ80。
看護師さんもそこまではいかないけど、ベテランさんです。
私も里帰り出産なので、こちらでは健診(あと、乳腺炎でもお世話になりました)のみですが、出産は月に数回くらいであまりないような産院です。
なので、受付も看護師さんがしたりするので、先週電話した時に話した看護師さんが覚えてくれていてすぐに話かけてくれたのです。
で、先生(通称じーや)にみてもらいました。
胎嚢は確認でき、子宮外妊娠ではなかったので一安心。でも、赤ちゃんは見えないし、出血は結構してるし、胎嚢もよがんで変な形だね、とじーや。
出血してても、成長するパターンかも!と自分を励ましていたので、予想が外れてがっかりしました。がっかりしすぎて、エコー写真ももらわなかったです。てゆーか、くれなかった。切迫流産との診断を受け、お尻にホルモンの注射を打たれ、(坊の時もした。)ダクチルを処方され、1週間後に健診に行くことに。
産院は歩いて20分くらいなので、家から近いからそこに行ってるのですが、助産師さんのばあやから、切迫流産なんだから、なるべく安静に、坊も抱っこしたらダメよ!と注意され、1週間安静にしてました。
ばあやに、「またつわりがないんですよね…」と言ったら、つわりがあったほうがいい!赤ちゃんが育ってるってことだから!と言われ、そーなんよねぇと思いました。
ところが、その週末からつわりが始まりました。茶オリもでてるけど、つわりがあるなら、もしかしたら赤ちゃん成長してるのかも!?と気持ち悪い気分の中、希望を持っていた1週間でした。

2016年7月6日水曜日

3回目の妊娠①〜胞状奇胎発覚〜

生理予定日前からなんか胸がムカムカするし、熱っぽいし、眠い。
これは、妊娠したかも!
妊娠も3回目になると、生理予定日前からなんとなく分かるもんだなぁと思ってました。ちなみに、基礎体温は色々あってつけてません。
前回2個入りの妊娠検査薬を買った残りがあるからあれ使おう!役に立ってよかった〜
初めての妊娠の時はフライングで生理予定日に使って反応が薄くてもう1回検査したりしたけど、3回目だし、ちゃんと生理予定日1週間後に使おう!と心の準備。
そしたら、生理予定日になんと茶色のおりものが。ギョギョギョ!去年の12月の流産の記憶が蘇る。(前回は出血、腹痛なく稽留流産でした。)びっくりしたけど、早速ググると、茶色のおりものやピンクの少量のおりものは初期にはよくあることらしいとのこと。そうなんだ〜と一安心。

その後も茶オリが出たり止まったり。ちょっと1時間ほど電車に乗って友人と遊びに出かけた日は鮮血になってしまったけど、安静にしてたらまた茶オリに戻ってました。不安だけど、腹痛もないし、出血の量も増えないし、様子をみつつ、生理予定日から1週間後、検査薬で陽性反応。そっか、やっぱり出血は生理じゃなかったんだとはっきり出た青いラインを見て嬉しくなりました。まだ5wだったので、一応産院に状況を説明して電話で聞いたら、まだ早いから7wくらいにいらっしゃいと言われました。でも、大量に出血したら受診してね、と。
初期、茶オリ、無事出産
などでググる私。ふむふむ。大丈夫かな?でも流産した時みたいにつわりもないし、大丈夫かなぁと思っていたら、6wの時に鮮血の出血が。ああ、終わったかもと思いながら、1回目の産院へ行ったのでした。

2016年7月5日火曜日

自己紹介

よっしーです。女子です。生まれも育ちも福岡。就職するまで実家暮らしでした。
2012年9月に結婚。関東で働いてました。
わーい!私も結婚できた〜!と思っていたら、その3ヶ月後、帰宅した旦那さんが福岡へ転勤すると言った。私は福岡に帰りたかったけど、仕事も楽しかったので、自分でも驚いたけど、泣いてしまいました。
2013年3月に東京で結婚式を挙げ、4月に転勤。。。
8年ちょっと働いた会社を辞めて、いきなり専業主婦ライフ。
私の実家は同じ福岡県内だけど、車で1時間以上かかるので、気軽に帰って遊ぶ距離ではなく、専業主婦になってから最初の方は旦那さんとよく喧嘩してました。
旦那さんは優しいので、ほぼ私の一方的な喧嘩でしたが。
もう31歳だったし、せっかく実家が近めのところに転勤できたので、この機会にぜひ子供が欲しいと強く思っていました。なんせ、暇だし!
でも、まあ色々あって、ザ・妊活はしてくれない旦那さんに一人でイライラしていたら、なんと病気になって入院してしまいました。(その話は別に書きます)
2013年9月。人生初めての入院。
会社を辞めてストレスフリーになったはずなのに。。。入院生活で心を入れ替えた私は、もう旦那さんにイライラしないことにしました。
そしたら、2014年2月。妊娠!したと思いきや、さっそく切迫流産になり安静生活をおくりましたが、その後落ち着き、無事2014年10月に男の子を出産。
初めての子育てに戸惑いつつも、協力的な旦那さんのおかげもあり、楽しく過ごしてました。
そろそろまた転勤するかもしれないし、今のうちに2人目欲しいね〜と言っていた上の子も1歳になった頃、2回目の妊娠。
妊娠判明してすぐ、家族や友人にのん気に報告。
妊娠すれば出産できると思ってたんですよねぇ。
出血もなく、でもつわりもなく、そして6wでも7wでも心拍が確認できないし、胎嚢が大きくならない日々を過ごし、稽留流産で手術をしました。
初期の流産は染色体の問題だからどうしようもない、自然淘汰なんだって分かってたけど、名前どうしようかな〜?とか、食器を買う時に4枚買ったりしていたので、分かってるんですが、とってもショックでした。
流産から半年。待ってましたの妊娠。なのに、胞状奇胎だなんて!

自己紹介

よっしーです。女子です。生まれも育ちも福岡。就職するまで実家暮らしでした。
2012年9月に結婚。関東で働いてました。
わーい!私も結婚できた〜!と思っていたら、その3ヶ月後、帰宅した旦那さんが福岡へ転勤すると言った。私は福岡に帰りたかったけど、仕事も楽しかったので、自分でも驚いたけど、泣いてしまいました。
2013年3月に東京で結婚式を挙げ、4月に転勤。。。
8年ちょっと働いた会社を辞めて、いきなり専業主婦ライフ。
私の実家は同じ福岡県内だけど、車で1時間以上かかるので、気軽に帰って遊ぶ距離ではなく、専業主婦になってから最初の方は旦那さんとよく喧嘩してました。
旦那さんは優しいので、ほぼ私の一方的な喧嘩でしたが。
もう31歳だったし、せっかく実家が近めのところに転勤できたので、この機会にぜひ子供が欲しいと強く思っていました。なんせ、暇だし!
でも、まあ色々あって、ザ・妊活はしてくれない旦那さんに一人でイライラしていたら、なんと病気になって入院してしまいました。(その話は別に書きます)
2013年9月。人生初めての入院。
会社を辞めてストレスフリーになったはずなのに。。。入院生活で心を入れ替えた私は、もう旦那さんにイライラしないことにしました。
そしたら、2014年2月。妊娠!したと思いきや、さっそく切迫流産になり安静生活をおくりましたが、その後落ち着き、無事2014年10月に男の子を出産。
初めての子育てに戸惑いつつも、協力的な旦那さんのおかげもあり、楽しく過ごしてました。
そろそろまた転勤するかもしれないし、今のうちに2人目欲しいね〜と言っていた上の子も1歳になった頃、2回目の妊娠。
妊娠判明してすぐ、家族や友人にのん気に報告。
妊娠すれば出産できると思ってたんですよねぇ。
出血もなく、でもつわりもなく、そして6wでも7wでも心拍が確認できないし、胎嚢が大きくならない日々を過ごし、稽留流産で手術をしました。
初期の流産は染色体の問題だからどうしようもない、自然淘汰なんだって分かってたけど、名前どうしようかな〜?とか、食器を買う時に4枚買ったりしていたので、分かってるんですが、とってもショックでした。
流産から半年。待ってましたの妊娠。なのに、胞状奇胎だなんて!

2016年7月4日月曜日

はじめに

こんにちは。よっしーと言います。
2016年5月半ば。3回目の妊娠判明。
だけど、生理予定日から続く、怪しげな出血。。。
妊娠6wに受診したら、胎嚢がいびつでした。
7wに受診したら、胎嚢が育ってないうえに、エコーで胞状奇胎の疑いが。
去年の12月に稽留流産を経験して、2度目の流産の覚悟をしていたところに言われた聞いたことのない病名。
転勤族なので、近くに気軽に話せる友人もおらず、1度流産しただけでもショックだったのに、2度も流産でしかも病気になるなんて!
それから1回目の手術をするまでにネットで胞状奇胎を調べまくりました。疑惑から2週間後に1回目の手術をしましたが、その間にネットで胞状奇胎になられた方のページを読んで心の準備ができていたのか、前向きに手術を受けることができた自分がいました。
なので、同じ病気になられた方に少しでも役に立てればと思い、記録をつけることにしました。
つたない文章ですが、宜しくお願いします。

はじめに

こんにちは。よっしーと言います。
2016年5月半ば。3回目の妊娠判明。
だけど、生理予定日から続く、怪しげな出血。。。
妊娠6wに受診したら、胎嚢がいびつでした。
7wに受診したら、胎嚢が育ってないうえに、エコーで胞状奇胎の疑いが。
去年の12月に稽留流産を経験して、2度目の流産の覚悟をしていたところに言われた聞いたことのない病名。
転勤族なので、近くに気軽に話せる友人もおらず、1度流産しただけでもショックだったのに、2度も流産でしかも病気になるなんて!
それから1回目の手術をするまでにネットで胞状奇胎を調べまくりました。疑惑から2週間後に1回目の手術をしましたが、その間にネットで胞状奇胎になられた方のページを読んで心の準備ができていたのか、前向きに手術を受けることができた自分がいました。
なので、同じ病気になられた方に少しでも役に立てればと思い、記録をつけることにしました。
つたない文章ですが、宜しくお願いします。