そんなもん、したってしょうがなかろう。だいたいフィクションやし、、、と今は思えるけど、当時は別。
子供のいる人生か否かというのが、自分の最大関心事だったので、そんな気持ちにもなるのです。
私のもやもやは、旦那さんは分かってくれませんでしたが。
ちなみに、私は2回流産しています。
今はもう子供はひとりいるんだからいいじゃん、と思う方もいるかもしれません。
そんなの勝手に決めないでほしいです。
私たち夫婦が決めることです。
まだ欲しいから、妊娠希望してるし、だから、流産だって経験してしまうんだから。
欲しくなかったら、そもそも流産なんてせんとよ。
流産した友人は手術で入院した際に妊婦さんと同じ病棟で過ごしたり、新生児を見るのが辛かったと言っていました。
また、別の流産を経験した友人も職場で妊婦さんがいて妊婦トークをされて仕事に行きたくなくなるぐらいだったとも言っていました。
ネットでみた胞状奇胎経験者の方も子供はひとりいるけど、兄妹に子供が生まれると知っても素直に喜べなかったとありました。
分かるなぁ。
今回、総合病院で2回目の掻爬手術をするための入院中に新生児ちゃんを見つけた時、
私の妹が7月に2人目を出産した時、
私も同じような気持ちになるのかもしれないと思っていました。
でも、ならなかった。
新生児ルームにいた新生児ちゃん達は超小さくて、去年流産した子を無事に出産していたら、同じくらいの誕生日だったなあと思いつつ、かわいいなあと思えたし、
妹が生んだ2人目に8月に会いに行った時も、かわいいなあと思えた。
もちろん、いいなあ〜、うらやましいな〜、と思っています。
でも、心からおめでとうという気持ちにもなれる。
なんでかな〜と考えてみたら、やっぱり、そう思えた方が自分が楽だからかなと。
客観的に第3者の立場で見ると、おめでたいことはおめでたく感じれるし、そう思えることが自分も気持ちよく過ごせると気づいたから。
それに、私だって、楽しく幸せな気持ちになりたい。
そのため。自分のため。
別に他の人に私のようになれとは思いません。
その人の人生、考え方がありますからね。
うーん、変かいな?流産した子に対して冷たい?と思って、この話を旦那さんにしたら、私が元気で楽しくしてる方が、自分も楽しくなるので助かると言われました。
そりゃよかった。
これから数年は年齢的にも、友人から妊娠報告が来る可能性はかなり高いと思います。
でも、私はたぶん妊娠にチャレンジすることもできない期間でしょう。
人は、人。自分は、自分。そんなの当たり前のこと。
比べたって、しょうがない〜♪
まあ、つらいけど、おめでとうって思えたら、私も嬉しいし、
そういう報告はどんどん聞きたいな、と思っている最近です。
ま。先のことは分かんないですけどね〜。
こんな考え方ができるようになったのは、
きっと、超ポジティブな旦那さんと暮らしてるからかもしれないですね。
ありがとう〜。
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